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2002.9.28

遠い県外より近い県外<笑>

  XXX県を元気にしようとか、自慢できるXXX県にしようとかスローガンに唱える声を時に耳にするが、権力欲に目がくらんでいる政治家以外に本気でそのようなことを考える人はいるのだろうか?
 目をつむってイメージしてほしい。身近に我が故郷と実感できて愛情を感じることができる範囲はどこまでかを。おそらく町村、広くて市までではないだろうか。成人してよみがえる、幼心に写った景色は歩いていける範囲ではないだろうか?どれほどネットが発達し、交通手段が多様になっても人間が身近に私の・・・と感じられる範囲はきわめて狭い。
 では、我が故郷より広い次の区域は「県」だろうか?普段の会話で、故郷を越えての話は「景気はどうだろうか?」、「日本は中国に抜かれたのかな?」であり「北朝鮮と国交を結ぶのかな」という具合に日本全体の話題ではないだろうか?それはまったく不思議ではない。県境になんの根拠も生活に基づいた実感もなく、ただ行政の都合しかないからである。
 卑近な話だが、隣の金津町は加賀市と接しているが、加賀市よりではお葬式でも加賀市のセレモニーホールを使用するなど、そこには県境の意識は希薄である。私なら、小浜市に美術館ができても嬉しくないが、加賀市に博物館ができると喜ぶ<笑>。坂井町に住む私にとって、嶺南の聞いたことがない町にJRや高速道路がつくことに何の感慨も持たないが、日本全体の豊かさのための高速道路という観点からは、どこに道路をつけるべきかには十分な関心がある。
 という具合に、市町村までがふつうに認識できる故郷の範囲で、その次の領域は「この国は・・」が自然ではないだろうか。XXX県を!!を繰り返す方々を見ると、「おい!隣の県はどうでもいいのかよ?」と聞いてみたくなる。
 行政区分は市町村の単位にして、それ以上をせいぜい州として緩やかに名称を束ねるくらいでいいのではないだろうか?